インド旅行退屈日記

38日間インドへ行った。
どうしてインドなのか?
ただ、単純に(航空券、物価共に)安く、そして友人が良い場所だと言っていた。もうひとつ理由を挙げるならば、尊敬している人が働いている場所がインドだった。

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もう一度、出国日の3月10日に戻ることが出来るならば、僕はインドに飛び立つという選択肢を選ばないだろう。それだけははっきり言える。
人生の中で初めて嫌いな国が出来たという経験。それがインド。

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「海外旅行は自分探しだ。」という風潮が古くからあって、そこに重ねて現在では「海外に自分を探しに行くなんてバカげている。自分は此処にいる」という風潮の方がより強くなっていると感じている。
僕自信も自分は常に此処にいると思うし、自分なんて探さなくても、個性がないと思っていても、「我」みたいなものはわりと自然に出ているものなのではないか思う。
だけど、海外に行くことは、自分探しにかなり有効な手法なのではないかなと思う。

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「カルチャーショック。いったい、なんて軽々しい響き!」と僕は思うけれども、海外に行くと、カルチャーショックはそこらじゅうに石みたいに、コロコロと転がっている。拾う必要もないくらいに、歩いているだけで躓くほどある。
それでも長く滞在していると時々拾いたくなったり、反対によけようとして変に躓いたりすることがある、時々、踏み潰したりもする。
夜中、軋む心配性もない硬すぎるベッドの上で、そんな石のことを考えたりする。そして、大体は結論に辿り着くこともなく、眠りにつく。

朝になると、そんなことを忘れて、また新しい場所に旅立って行く。
そんな連続の呼称が旅というみたいだ。それらは全部解決することもなく、頭のどこか片隅に残したり、道端に少し落としたりして、旅は終わる。
そして、そういうものを持って自分の国に帰ってくると、何気ない日常に違和感を感じたりする。違和感というほど大層なものではないけれど、「ここにもそれなりに石落ちてるじゃん。」となったり、そういやあの服着てなかったな。なんて、些細なことを思い出せたりする。
僕はいつも、遠い場所に行く度に些細なことを思い出す。

しかしそれは閃きという様な感覚、もっと強く言うならばパラダイムシフトというようなものでは全然なくて、本当に小さい気付きみたいなもの。鈍く重いものを少しずつ身に付けるような感覚。
人間は、そういう単体で取り出してみるとあまり美しくないもの達を、その人なりの感覚(それは無自覚的なものが圧倒的に多い)で積み重ねて出来ていくのではないかなと僕は思う。

ブログではインドでのエピソードや、なんやらを書こうと思ったが面倒くさいのでやめた。少しくらいは書こうと思うけれど。少し長かった為、あまり上手にまとめることができなかったと言った方が正しいかもしれない。
僕の友達は直接きいてください。友達じゃなくても別にいいけど。

インドで、良かった思い出。
・ラダックのトゥルトゥクという辺境の村で見た月。
・マトという村で見た無数の星。宇宙に行きたいなと、月並に思った。
・人生初ヒッチハイク
・インド人の為の旅行ツアーに一緒に参加して(外人は私一人だった)、子どもたちと親密になれたこと。
・尊敬している方が運営しているレストランに行けたこと。
・食べたことのない食べ物をたくさん食べられたこと。
・ホームステイ

PS.少し抽象的な話をしすぎた。
ホームステイの話だけ、少し書こうと思う。

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ラダックという高度3000m〜5000mの地域の村々を旅行者気分で訪ねていた。
そして、マトという特に観光するものもない小さな村に訪れた。
僕はその日、ヒッチハイクで村々を転々としていたのでマトという村に着いたのは既に日が沈みだそうとしていた頃だった。
宿がないという情報は知っていたし、その村からバスが出るのは朝だけだというのも知っていたので、僕はモナストリー(修道院)に泊めさせてもらおうと思っていた。
そして、村人に訪ねてみたところ「あんた、オンナでしょ」「オンナはダメよ、あんたが良かったら私の家に泊まっていきなさい!」と言いながら、勝手に家へのガイドをしてくれた。
僕は修道院に泊まったことが無かったので興味はそれなりにあったのだが、本当のホームステイができるのも貴重だなと思いながらその人についていった。「僕は男ですよ。それでもいいですか。」なんて言いながら。その人はちょっとでも滑ると死ぬ山道(というか崖道)を下り始めた。高所恐怖症で何度か気絶しそうになりながら、僕はなんとか必死についていった。

その村人は50歳くらいの女の人は英語があまり上手ではなくて基本的に「you are 〜〜」という喋り出しだった。
家に着くまでは「私の家は貧乏なの。」「家は小さいわ」などと謙遜していたと思われたが、実際家に着いてみると、確かに貧しいんだろうなとは感じられる家だった。
あまり建物自体が大きくはなく、トイレも外にあるインド式ボットン便所、水道も通っていなかった。
家族構成は夫と、中学生の娘。他に二人いるが大きくなって外に働きに行っているとのことだった。
あと、おばあちゃんと住んでいたとの事だったが3ヶ月前に亡くなったそうだった。

娘さんはとても綺麗な顔立ちをして、笑い方も素直に笑うんじゃなく、中学生特有のどこか恥ずかしみを含んだ笑い方をしていて、それがとても可愛かった。
そして、お母さんいわく、娘さんは不良だそうで、あまり良い子ではないと言っていた。
確かに、死んだおばあちゃんの写真を見せてくれた後に娘さんは、そこらへんに落ちているパンくずをささっと死んだおばあちゃんの写真に(ふざけてではなくて自然に)のせたりしていて、僕はその親子間のギャップに結構笑わされる瞬間があった。

そして、夜になって家族が揃うと晩御飯を作ってくれた。それは日本でいううどん、現地で言うトゥクパというものだったのだが、これがすこぶる不味かった。どれくらいまずかったかというと、こんな料理を作る奴は殺さねばならぬと使命感を真剣に感じるくらいにはまずかった。
だけど、家族はそれをうまいともまずいとも言わずに、平然と食べていて、僕はおいしいですと言いながら食べた。おかわりは絶対にするつもりはなかったけれど、ラダックでその行為は不可能だと知っていた(ラダックの人達はインド人とは思えないほどに親切)。だからなんとか2杯で食い止めるつもりで、その企みはなんとか成功した。
しかし、朝目覚めてダイニングに行った時にそのトゥクパを皆がもう一度食べているのを見た時は、ワンピースでいう、51巻くらいのルフィの絶望の気持ちわかった気になった。

朝、娘は学校に行き父もいつの間にか消えていて、お母さんと一緒にバス停に向かった。
バス停に向かう際に僕は、謝礼としてお金を渡そうとしたけれどお母さんは要らないと言って、受け取ってくれなかった。そのかわり、また来てね。次は彼女とあなたのお母さんときて、あなたが言ううどんというものを作ってね。と言ってくれた。
そして、僕は多分ここに来ることはないよと思いながら、きちんと頷いた。


そんな話。