近所のコンビニエンスストア

思うことが色々あって、およそ一年と数ヶ月、定職というかフリーターにすらならないまま、
24時間意のままに、操れる期間を過ごしたことは、自分的にはとても有益だったことかなと思います。
今、少し振り返ってみると「もっと効率の良い暮らしかたみたいなものもあったでしょうに。」
という気がしないでもないけれど、まぁ悪くはないかなって思えるようなそんな日々を過ごせました。

現在はうってかわって、バンバン働いているんですが、これまた、働くというのもそんなに悪くないものですね。
なんというか、人とコミュニケーションを取ることが必然的に発生するというのが、とても新鮮で楽しいんです。ちょっと気の変な人みたいなセリフを言ってる気がしないでもないですが。


ーーーーーーーーーー
私の家の少し近所にも遂にファミマが出来たんです。
店長も気合が入っているから店内は常に清潔で、他アジア系の方も一生懸命接客してくれて明るい空気が充満しているんです。

けれども、僕の家に一番近いコンビニはちょっとシケたサークルKなんですよね。
で、そこがいったいどこの求人広告を使っているか店長呼び出して確認したいレベルの、ならず者たちが集って働いているんです。
ガリガリガリクソンがかなり不潔になった上に、バナナマン日村の髪型を乗っけたとか、
来日一日目のマサイ族の方がよっぽど「意思疎通しやすいだろうな。」と思えるくらいの吃り気味の人とか、そういう人が5人も6人もいるようなところなんです。

僕はそういう人達を見かけると、「ああ、自分もこうなっていた可能性全然あるよなぁ」と思ったりして、勝手に感情移入して妄想に浸ったりするのが
好きなんですね。

で、今年の春に、ボーイッシュな女の子が入ってきていて、ならず者たちの好感的な、どよめきが見て取れるんですね。
ならず者たちが、全然顔を合わせないままに、レジの打ち方やホットミールの作り方を教えていたりして。
そんな光景を見るたびに、
色んなコミュニケーションがあって、それすら全部愛しい気分になってしまうなぁ。と
そんなことを思った、感傷的な春の夜の帰り道。

20160111 日記

デヴィッド・ボウイが死んでしまった。
死んでしまったからと言ってその人が残した音楽、それ自体に、
決定的な変化は見られることはない。

私達も普段から
「今日は死んだミュージシャンの曲を聴こうかな、
いや、やっぱり生きてるミュージシャンの方にしよ。」みたいなジャンルの選り好みをして
音楽を聴くことはないですし。

だけど、今日聞くボウイはいつもより感傷的に聴こえました。
最後のアルバムなんかは、特に。

で、なんか、家に一日中いるのもなぜだか辛気臭いなと思って、
ボウイが好きだったらしい、シェパーズパイでも食べに行こうかと街に出ました
(中野にはアメリカ人がやっているケーキ屋がある。まぁシェパーズパイはイギリスだったっけ...)。

でもケーキ屋さんのシャッターは閉じていて残念ながら入れませんでした。
まっすぐ帰るのもなんだかなと思いながら、その近くにあるジャズ喫茶を目指しましたが、
「ジャズを聴く気分でもないな」とそのまま店を通り過ぎ、商店街をとぼとぼ歩きました。
予約スイッチを押した炊飯器と、食材が家でお留守番していたけれど、もういっそのこと、気にせず
外で晩ごはんを食べようと思い、チャイナガールに脳内チューナーを合わせて中華料理屋に入りました。

いかにも街の中華屋さんと言った店構えで、店内には、相撲中継のラジオが流れていました。
「これはまずいな、家で録画している相撲中継を
楽しみにしている2週間の日々が始まったばかりだというのに。」
と思いました。が、入店してしまったし客は一人もいないので
「僕がこの店の夫婦を支えてやらねば。」と
間違った正義感を露わにしてチャーハンとラーメンを頼み、さっさと食べて出て行きました。
三つの取組みの勝敗を知ってしまいました。
味は特筆することのない庶民的中華だったけども、ラーメンのチャーシューの旨味だけが突出しており一人で「なんでやねん!」と思いながら完食。

家に返って、ボウイに憧れる少年が主人公の映画を見て、この日記をささっと書きました。
そろそろ、昨年見た映画のリストと、中野の食べた店をリストにまとめたいんですが、こういう日記を書いてしまいました。
ボウイがいなきゃスティーヴィーレイヴォーンの存在を知ることも無かった。

PS.青春18切符は楽しかったです。今日、中華料理屋の帰り道にあおい書店で時刻表を見て、車窓から見える風景を想い出してました。

年間ベストディスク5

今年は新譜問わず、聴いたことのない音楽をたくさん聴いた年だった。
Apple Musicを利用して、ジャズやワールド・ミュージック(というよりアフリカンポップス)の裾野を拡げていくというような聴き方だった。
ではでは、5枚だけですが(2015年発に関しては3枚)簡単に紹介していきます。

                                                                                                                    • -

1.SUFJAN STEVENS / Carrie & Lowell
私なりの褒め言葉の中に「葬式で流して欲しい曲」と言うのがあるのですが、このアルバムに関しては全曲がソレでした。多分、70歳になっても聴いているんだろうなと思います。



2,星野源/ YELLOW DANCER
始まりと終わりの曲が秀逸。正直、曲の流れには「?」が浮かんでしまいましたが、ビート感やサウンドに「良い音楽を作るんだ!」という気概を感じさせられる作品。というかカースケの大先生のドラム、日本のドラムの新境地をこっそり開拓してるんじゃないかと思える作品でもありました。

3. ROTH BART BALON / ATOM
あんまり好き好んで聴くようなタイプの音楽ではないんですが、今年発売された作品としては何回も聴いてた。歌詞とかあんまり気にしないタチですが、耳に残る歌詞だなーとか適当に思ったりしながら流してた。


あとは今年出た作品じゃないものを。

4.Stan Getz / Nobody Else But Me
Amazonでは謎の高騰が発生しているんですが、収録されている『Waltz For A Lovely Wife』が
今年聞いた音楽の中で一番、音楽的な感動を味わいました。中野中央図書館で借りてぶっ飛びました。youtubeにリンクがあったので、是非。

5.Bon Iver / For Emma, Forever Ago

ロックミュージック聴けなくなってきたなと感じるラインナップになってきました。
相変わらずオルタナっぽいギターとか聴くと問答無用にテンションは上がるんですが。
そういえば来日公演するらしいですね。観に行くと思います。



まぁ、こんな感じです。
あとはふくろうずやマイルス・デイヴィススタン・ゲッツ関連ををよく聴いていた気がします。
あと、Toro Y MoiやAdelも上記と遜色ないぐらい最高だったです。
ライブではフジロックに行ったり、ディアンジェロ観たり、中々悪くなかったです。
インディー界隈ではTaiko Super Kicksのライブが一番良かった。最近見た中では一番上手いギタリストでした。

                                                                                                                                                                                                                            • -

見た映画は年明けにまとめます。

今年の総括としては、今までで一番お金使った年になった。
それに対しての見返りがきちんとあったかどうかを確かめるのは少し時間がかかりそうだけども。

あとは、仕事ではなくプライベートとして初めて海外に行ったり、新しいフィールドで色々と物事を試したりしてみましたが、それに関してはうまく物事が進んだという実感はなかったです。
来年は、恐らく定職についてそれにほとんどを費やす年になるだろうという希望観測で2015ブログを終えたいと思います。

良いお年を。

tricolore

僕らは物事の大きさについて、正しく認識することが出来ない。
それは何よりも重いと考えられてきた、「命の重さ」についても同様に言えるだろう。

                                                                                                                    • -

2001年、11歳の僕は遠くのビルに飛行機が衝突した事実よりも、
母がご飯を作ってくれない目の前のことにイライラしていた。
BS放送で中継されていた煙を吐くビルに2機目の飛行機が突っ込んだ時、
大きな悲鳴を上げた母に、軽い怒りにも似た気持ちを感じたことを、
後悔の念からか、未だに憶えている。

                                                                                                                    • -

イラクでは21世紀以降だけで1000件以上の自爆テロが起きている。
僕はその日付をいくつ並べられるだろうか。
どれだけの命が亡くなったか、正確に答えられるだろうか。
僕の口は閉じたままだった。

                                                                                                                    • -

「人間は重要だがドラマ性に欠ける事柄には関心を示さない。」
と、行動経済学者であるダニエル・カーネマンは著書「ファスト&スロー」で
述べている。

毎日起きる交通事故などの生命に関わる重大な悲劇までも、
僕らは日常生活の中に溶けこませることに成功した。
職場やデートへ向かう為に日常的に利用する移動機関が、
人を轢いてしまったとしても、その命について思案することも、
祈ることもなく「待ち合わせ時間に遅れます」と相手に送信して、
その場でスマホゲームや読書をため息混じりにする。

それが悪いことなのかどうか、私には到底判断がつかない。
その是非を問いたいわけでもない。
しかし、この状況を「異常だと思わないか?」と尋ねられると、
僕はその時だけ、スマートフォンの画面を見ることをやめた。

                                                                                                                    • -

だけども現実的には、全ての物事について考える時間を持つことはできない。
2001年の私のように、他人の悲劇よりも自分の食欲に関心が向いていた。

レバノン自爆テロよりもフランスのテロに関心を示すのは、
日本のメディアや、ドラマ性の大小、もっと言ってしまえば
同じ先進国での事件という、自国にも起こりうるという
危険認識から生まれる防衛意識かもしれない。

                                                                                                                    • -

トリコロールのアイコンに関する是非が問われ、
週明けの月曜日にトリコロールから普段のアイコンに戻している人を数人見た。
僕は大震災の時、「日の丸アイコン」の諸外国の人達を見て、
暖かい気持ちになった。嬉しく思った。
ただ、それだけでいいと思う。

そんな風に、少しずつで良いから
関心を持ち寄っていかなければならないのだろうと思う。
黙々として、無関心になったり、声を上げにくくなってしまったりすれば、
僕らは身の回りのことにしか関心を向け、意見を持つことしか出来なくなってしまうだろう。

                                                                                                                    • -

まとめきれていないし、まともな解決案すら提示していないけど、
こういうのはきちんと言っておいたほうがいいかなと思って、とりあえず書き殴った。

実家の本棚

僕の家の本棚に、本は並んでいなかった。
そこには本の代わりに録画した大量のVHSと、父がUFOキャッチャーで取ってくれたウルトラマンの人形たちがいた。
本棚なのに本は松本人志『遺書』1冊だけ。
そんな状態のシロモノを本棚と言っていいのかは、よくわからないが
棚の形状としては、立派な本棚といえる形をしていた。

僕の家には本を読む文化というのは存在しなかった。
あるのはTVとゲームソフト。
幼稚園から小学生を卒業するまで、僕はひたすらそれに打ち込んだ。

中学生になって、ゲーム機が壊れた。
アルバイトが出来る年齢では無かったので、大切なアフターファイブの友達がいなくなってしまった。
そんなときに音楽と出会えたのは振り返ってみると、僕にとっては小さな奇跡だったかもしれない。
僕は大学3年生で音楽を辞めるまで、文字通り毎日ギターを弾いていた。
プレイヤーとしてはあんまり大した結果は残せなかったけど、充実した毎日を送ることは出来ていた。

音楽を辞めて時間ができた。僕は自分の手で進んで本を読むようになった。
手に取る本はどんなものでも面白かった。
マーケティングの本も、日本の小説も、海外の小説も、ウェブプログラミングの本も面白かった。
ついでながらに懺悔すると自己啓発書も面白いと思って、付き合ってもない好きだった女の子に
あげてしまったくらいだ。無知というものは過去を思い出させることを躊躇させる強力さをも持っている。

                                                                                                                                                                                                                                          • -

僕は大学3年生の時に知的好奇心の塊のような教授に出会い、感化されたお陰もあって習慣的に本を読むようになった。
年によって、ばらつきはあるがそれ以来、年間70冊〜150冊くらいは読んでいると思う。
なるべく客観的に見てみると、比較的に本を読んでいる方だとは思う。
だけど、世の中には知識を求めるモンスターみたいな人も存在して、
そういう人達は桁がひとつ違ったりするので、そう誇れる数字でもない。
かといって世間の半分くらいの人は本をほとんど読まないし、
読んだとしてもマーフィの法則だったりするというのも、頷ける現実感ではあったりする。僕の家のように。

そもそも論として、別に本を読んでいるから偉いとかそういうものでもない。
多くのことを知識として所有していても理解していなければ、そう意味を成さない。
量より質。だけども質は量と比例する。知識を増やすことで理解するきっかけを多く得ることが出来る。
いささか性急な論理の飛躍を許してもらえるなら世界を知るというのはそういうことだと思う。

                                                                                                                                                                                                                                          • -

話を戻そう。
中学生の頃、友達の家で見た本棚には本が目一杯詰まっていた。
僕の家の本棚といえば、『遺書』『イチローイズム』ハリーポッターの初期三作の5冊に増えていた。
鈍重ながらも少しずつ増えている。けど、友達に自慢が出来るか?僕は首を横に振った。

家に立派な本棚があったならどんな人間になっていたんだろうと、手に握った難解な本から逃げ出しながら、寄り道しながら、僕は時々考える。

インドリバイバル

今年の3月に、約一ヶ月強インドに行ってたというのは過去に書いたけれど、具体的な移動先は大体こんな感じだ。

デリー→バラナシ→アーグラー(タージ・マハルがあるところ)→デリー→ジャイプルジョードプルジャイサルメール→デリー→ラダック→デリー(グルガオン)

まぁ文字にして見てみると「コイツどんだけデリー好きやねん。」となるかもしれないが、この中で一番嫌いな街はダントツでデリーである。

そして、知り合いには散々に「インドは全然楽しくなかった...」と言ってきた。
しかし、偶然に知らない人のブログで偶然にインドの旅行記(というか写真)を見たときに、「インドいいな…」って心情に変化してました。
現地にいる時には、インド人の平気で嘘をついたりゴミを捨てたり、マナーという概念が欠如しているさまに、うんざりしていたのに。

こんなふうに悪い第一印象から一転良い印象へと変化することがたまにありました。

顕著な例は二郎系ラーメンで、
初めて食べた時は
「マジで豚が食う食べ物だな...少なくとも人間が食べるものではないな...」
とドン引きしていたのですが、一週間後には再度暖簾をくぐっている自分がいました。そして、その後も一日に二度食べたり、突如として食べたくなる感覚が何度もやってきました。

それ以来、僕はこの現象を「二郎リバイバル」と心の中で
勝手に呼び続けているのですが、インドに対してもその現象が起こるとは思ってもいなかったので、とてもびっくりしました。

インドに到着後、38日後の東京行きチケットを既に手配していた自分を非常に憎んだり、リキシャー(インドのタクシー)で口論するのも面倒だったので、8km程度ならバックパックを背負って歩いたりしたのに、「なんか楽しかったから、もう1回行ってみるのもありだな。」と思い始めました。

スニーカーが牛のウンコで表面コーティングされたり、日焼け止めを塗らなくて顔の皮がパリパリになったり、安宿で目覚めたら30ヶ所も蚊に血を吸われたり、深夜の駅のホームでスリ集団に追われ続けたりしたのも、面白かった気がしてきました

まぁ、それでも友達に勧めることはないけどもお金が無くて旅行したいと言う人なら行ってもいいんじゃないかなと思います。


PS.少し、書きたいことが多いと思い毎日ブログを書き始めましたが、三日目にして苦痛を感じてきたので日課にせず適当に書きます。

そういえば、デリーでヤバイ味の噛みタバコくれた駅員、9月に日本に行くから泊めてくれと行っていたのに連絡来てないな。

平日の昼風呂

私の住んでいるアパートは五階建てで、築年数はおそらく30年程度。しかし、部屋は私が住む直前にリフォームされたらしく綺麗なフローリング、そして新宿が一望でき、天気がいい日には富士山も見えるという、なかなか心地の良い家であると思っている。

だけどもデメリットはある。電車の沿線にあり、騒音と揺れること。
しかしこれに関しても考えを改めてみれば、そうデメリットでもない。どれだけ爆音で音楽を流しても苦情が来たことがないので好都合でもあり私はそこまで気にしていない(もちろん夜中には音楽は爆音では鳴らさないし、ほとんど聴かない)。

そして、もうひとつのデメリットはお風呂が臭いこと。
住み始めた当初はとにかく臭かった。生活に支障をきたすレベルじゃないかなと思ったほどである。
しかしこの問題に関しても、業務用の排気口洗剤みたいなものを買ってみると、ほとんど解決した。
バランス釜という昭和を気軽に感じられる面倒くさいお風呂に、私はそれ以来ほぼ毎日、身体を沈めている。

昼にも入りたいなと思うことがよくあって太陽の光と電車の騒音を浴びながら湯に浸かる。
そして、お気に入りの本(最近はkindleすらお風呂に持ち込む)を読んで快適に過ごすのだが、私のアパートは喫煙者が多いらしく、お風呂場の開け放しの窓からタバコの匂いが微かに香る。
おそらく、昼間にこのマンションにいるのは私と週2回くる掃除係のおばさんくらいだが、下の階の住人がヘビースモーカーらしく、本人がいなくとも匂いだけは残っているのだ。

私は嫌煙家ではあるが、どうもこの瞬間に匂うタバコの香りだけは別みたいだ。
平日の昼間にこの安アパートに私一人。汗をかいて働いているであろう主人の残り香に心地良くしてもらい、私もていたらくの汗をかきながら読書が捗るのであった。