tricolore

僕らは物事の大きさについて、正しく認識することが出来ない。
それは何よりも重いと考えられてきた、「命の重さ」についても同様に言えるだろう。

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2001年、11歳の僕は遠くのビルに飛行機が衝突した事実よりも、
母がご飯を作ってくれない目の前のことにイライラしていた。
BS放送で中継されていた煙を吐くビルに2機目の飛行機が突っ込んだ時、
大きな悲鳴を上げた母に、軽い怒りにも似た気持ちを感じたことを、
後悔の念からか、未だに憶えている。

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イラクでは21世紀以降だけで1000件以上の自爆テロが起きている。
僕はその日付をいくつ並べられるだろうか。
どれだけの命が亡くなったか、正確に答えられるだろうか。
僕の口は閉じたままだった。

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「人間は重要だがドラマ性に欠ける事柄には関心を示さない。」
と、行動経済学者であるダニエル・カーネマンは著書「ファスト&スロー」で
述べている。

毎日起きる交通事故などの生命に関わる重大な悲劇までも、
僕らは日常生活の中に溶けこませることに成功した。
職場やデートへ向かう為に日常的に利用する移動機関が、
人を轢いてしまったとしても、その命について思案することも、
祈ることもなく「待ち合わせ時間に遅れます」と相手に送信して、
その場でスマホゲームや読書をため息混じりにする。

それが悪いことなのかどうか、私には到底判断がつかない。
その是非を問いたいわけでもない。
しかし、この状況を「異常だと思わないか?」と尋ねられると、
僕はその時だけ、スマートフォンの画面を見ることをやめた。

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だけども現実的には、全ての物事について考える時間を持つことはできない。
2001年の私のように、他人の悲劇よりも自分の食欲に関心が向いていた。

レバノン自爆テロよりもフランスのテロに関心を示すのは、
日本のメディアや、ドラマ性の大小、もっと言ってしまえば
同じ先進国での事件という、自国にも起こりうるという
危険認識から生まれる防衛意識かもしれない。

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トリコロールのアイコンに関する是非が問われ、
週明けの月曜日にトリコロールから普段のアイコンに戻している人を数人見た。
僕は大震災の時、「日の丸アイコン」の諸外国の人達を見て、
暖かい気持ちになった。嬉しく思った。
ただ、それだけでいいと思う。

そんな風に、少しずつで良いから
関心を持ち寄っていかなければならないのだろうと思う。
黙々として、無関心になったり、声を上げにくくなってしまったりすれば、
僕らは身の回りのことにしか関心を向け、意見を持つことしか出来なくなってしまうだろう。

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まとめきれていないし、まともな解決案すら提示していないけど、
こういうのはきちんと言っておいたほうがいいかなと思って、とりあえず書き殴った。