20160111 日記

デヴィッド・ボウイが死んでしまった。
死んでしまったからと言ってその人が残した音楽、それ自体に、
決定的な変化は見られることはない。

私達も普段から
「今日は死んだミュージシャンの曲を聴こうかな、
いや、やっぱり生きてるミュージシャンの方にしよ。」みたいなジャンルの選り好みをして
音楽を聴くことはないですし。

だけど、今日聞くボウイはいつもより感傷的に聴こえました。
最後のアルバムなんかは、特に。

で、なんか、家に一日中いるのもなぜだか辛気臭いなと思って、
ボウイが好きだったらしい、シェパーズパイでも食べに行こうかと街に出ました
(中野にはアメリカ人がやっているケーキ屋がある。まぁシェパーズパイはイギリスだったっけ...)。

でもケーキ屋さんのシャッターは閉じていて残念ながら入れませんでした。
まっすぐ帰るのもなんだかなと思いながら、その近くにあるジャズ喫茶を目指しましたが、
「ジャズを聴く気分でもないな」とそのまま店を通り過ぎ、商店街をとぼとぼ歩きました。
予約スイッチを押した炊飯器と、食材が家でお留守番していたけれど、もういっそのこと、気にせず
外で晩ごはんを食べようと思い、チャイナガールに脳内チューナーを合わせて中華料理屋に入りました。

いかにも街の中華屋さんと言った店構えで、店内には、相撲中継のラジオが流れていました。
「これはまずいな、家で録画している相撲中継を
楽しみにしている2週間の日々が始まったばかりだというのに。」
と思いました。が、入店してしまったし客は一人もいないので
「僕がこの店の夫婦を支えてやらねば。」と
間違った正義感を露わにしてチャーハンとラーメンを頼み、さっさと食べて出て行きました。
三つの取組みの勝敗を知ってしまいました。
味は特筆することのない庶民的中華だったけども、ラーメンのチャーシューの旨味だけが突出しており一人で「なんでやねん!」と思いながら完食。

家に返って、ボウイに憧れる少年が主人公の映画を見て、この日記をささっと書きました。
そろそろ、昨年見た映画のリストと、中野の食べた店をリストにまとめたいんですが、こういう日記を書いてしまいました。
ボウイがいなきゃスティーヴィーレイヴォーンの存在を知ることも無かった。

PS.青春18切符は楽しかったです。今日、中華料理屋の帰り道にあおい書店で時刻表を見て、車窓から見える風景を想い出してました。