シンガポール退屈日記

海外というのは、田舎者の自分からすると「エキサイティングな日常」や「見たこともない日々の連続」みたいなものが街中の至るところに転がっていると思われる場所である。

だが、この考えを覆してくれる国がある。
それがシンガポールである。

シンガポールには、海外を歩くスリルというものが全くもって欠如している。
それなのに、日本という国を出た爽快感みたいなものも得ることはできない。
街並みを支えるビルたちの造形は、日本からすると「やや異質」とも言えなくもないが、それは3日もいればなんのことはない日常に同化してしまう。

シンガポールの観光名所といえば、カジノや、地上200m(くらい?)のプールなど、創造力のない人間が財力でカバーしたようなアトラクションが街の中に点々としているだけである。
そう、この街はアトラクションでしかない。だから、街並みを歩いても大きな感動が突如やってくることもないし、アトラクションを体験しても、やはり一時的なもので、価値観を変えうるほどの力を持たない。それはせいぜい賞味期限付きの楽しさみたいなものなんだ。

とは、いいながらもたまにディズニーランドに行くとやはり面白いと感じる人が多くいるように、僕も決して途中帰国してまでアトラクションから抜け出したいと思うほどではない。
だが、毎日を「なんだか味気ないなぁ」と頭のどこかでは感じ続ける場所、それがシンガポールなのである。


ちなみに、シンガポールに来て一番うまい食べ物は一風堂
私は日本にいても一風堂に行きたいとは思わないくらいのレベルなので、誠に残念ではある。
あと3週間の間に、おいしいものを発見できたらなと思う。


PS.私のようなペーペーの英語はほぼ正確に通じるし、市民による街の営みもそれなりには感じることは出来るのだが
香港に比べるとどうも味気ない。例えるならば、ソース抜きのインスタント焼きそばを食べてるみたいだ。

沢木耕太郎が『深夜特急』で描写したシンガポールは「どう考えてもしょうもない国やで、ここは。行ってもおもろいことなんかなんもあらへん。アジアなら香港やで。ほんまに。なぁ?シンガポールなんて、アジアの皮を被った無味無臭の無機物シティや。経由地にしてさっさとトルコいったほうがええで。はよ、さよならしーや。」を延々と間延びして書き連ねた文章であったが、その光景は現在でもそれなりに当てはまるようだ。