香港滞在日記 イギリス文化について

香港は、数十年前までイギリス領だった。
だから、イギリスの文化の名残は街をあるけば感じることができる。

だがしかし、だ。イエローモンキー代表の僕としては、それは白人文化に対してジェラシーを感じる日々を過ごさねばならないことになる。
という訳で、僕が日々体感するイギリス文化について少し書いてみようと思う。本場イギリスの文化でないかもしれないが、そんなことはもはやどうだっていいのだ。


イギリス人は実用的すぎるものを嫌う傾向がある。
それはワインの蓋にはじまったものだ(と僕は勝手に思い込んでいる。)。
なぜ、ワインを開けるのに素手で開けられないんだ?どうしてワインオープナーとかいう、部屋に飾ってあるだけでおしゃれ感マシマシになりそうなものが必要なんだと思う。プルタブを見習え。片手で開けられるバリアフリー仕様だぞ。

そして、実用的なモノを嫌う傾向は浴室でも如実に表れている。
まず、基本的にイギリスは風呂がない(たぶん)。だからホテルでも風呂を備え付けない。
そこには、風呂に入っている姿というのはなんとなく滑稽だからやめとこうというイギリス人の思考が見え隠れする(これもたぶん)。だからシャワーだけなのだ。

こればかりは「TADAのいうことが信用ならん。また、TADAのいちゃもんづけが始まったよ。 」と考える人も多いだろうが、少しだけでいいから考えてみて欲しい。映画のシーンでどれだけシャワーシーンが多用されてきただろうか?しかも、そのシーンがどれだけキャラクターのセクシーさやダンディズムや妖しげな雰囲気を担ってきたのだろうか?
僕はその事実がなによりの証拠だと思っている。
反対にバスタブのシーンが流れている映画なんて、僕が知っているのはチャイルド・プレイというクソB級ホラー映画(誤解しないで頂きたいが、これはほめことばである)くらいだ。あとはポルノ映画くらいだろう。滑稽かつ、奇妙な雰囲気を醸し出すくらいでしか使えってもらえないのだ。バスタブは。


そして、ボディーソープやシャンプーやらも、香水の瓶みたいなものに入れられている。
香水が香水の瓶に入っているのは理解できる。あれは、持っていること自体がステータスでもあり、瓶自体にもアイデンティティが宿っているのだろう。
だがしかしだ、僕らはホテルでボディーソープを使う時に、容器にアイデンティティが必要だろうか?

シャンプーを使っている時に「瓶から取り出す俺、ダンディーだ」とか思いたいだろうか?
少なくとも、イエローモンキーTADAにはまったくもって必要のないことだ。

メリットみたいな庶民的シャンプーの様に、赤ちゃんの肌にも優しい弱酸性ビオレのように、ワンプッシュで適量が出てくる、実用的なあのプラスチックの容器が恋しい。
顔をシャワーに打たれながら、限られた視野の中で瓶の蓋をくるくるとはずし、その蓋がバスタブに落ちた時の俺の滑稽さたるや、なんと表現すればいいのだろう。

イギリス文化批評はまだまだあるのだが、自分の恥さらしにもなってきたので今日はこんなところで。