香港滞在日記 10月26日 休日

昨日は香港に来て、初めてだらだらとした休日を過ごした。
朝10時ぐらいにのんびり目覚めて、本を読み昼寝をとる。
そして、3時ぐらいに昼食を食べに街に出かける。
ステーキを食べながら(値段が高すぎて、自腹もきった)、その圧倒的な肉の塊を頬張りながら、僕が食べるために屠殺された牛のことを想像せずにはいられなかった。
「俺は果たして、温厚的な牛を食べてまで生きる価値のある人間なんだろうか」とか
ベジタリアンというのは、動物は食べないけど、果物や植物を食べることにはなんら抵抗はないのだろうか。動物のように悲鳴はあげないけれど、それさえ聴こえなかったらノープロブレムなんだろうか。」とか
「そんなこといったって、食べることを辞めるとぼくらは死んでしまうし、生きている上の業として仕方のないことじゃないか」
と、いつも適当なキャッチボールではぐらかしてしまう。
それに、毎度食事の瞬間にこんな感傷的になってしまうと、ご飯の度に自分が生きていることの意味を考えてしまって、なんだか悲しい気分とか、むなしい気分になってしまう。だから、僕の脳みそくんは、基本的にいつもそういうことを考えずに「おいしい」とか、「まずい」とか「かわいい女の子と食べるとなんでもおいしい」とか、そういうことを感じることでお腹いっぱいになるようにしてくれてるのだと思っている。


話がそれてしまった。
そして、そんなことをおもいつつ、一緒に出てきた食べきれなかったパンをさっとポケットに入れて、近くの公園へ行った。
偶然、催し事が開催されており、色んな出店、イベント、ライブなどが行われていて、のんびりした休日を少しばかり、華やかにしてくれた。パンはそこらへんのハトにあげた。現代的食物連鎖


そして、夜はSOHOという様々な文化が入り組んだ街(ぼくは知り合いが香港に行きたいというのならこの街をおすすめする)で、女の子と晩ごはんを食べた。
お気に入りの店のカルボナーラを食べたかったのだが、そこはあいにく満席のようで、適当なメキシコ料理を選んで、適当に作られたであろうタコスを食べて、3000円近くの値段を支払い、ホテルに帰って寝た。

女の子は、メキシカンパエリアが食べきれず、残していたので、僕は昼間に食べた牛のことを思い出しながら、たいしておいしくもないパエリアをほおばった。


生きている意味とか、たくさんのものを殺して生きている現実に対して、人はいろいろ考えるけど、
それすら人間が勝手に考えてることだし(もしかすると、動物たちも草木を食べたりしながら考えているかもしれないけれど)、答えなんて存在してもそれは、あくまで個人的な答えであると思う。
それでも、ぼくらはぼくらなりに、答えを見つけなければいけない気がするのです。
10月26日。香港にて。