お引越し

もうすぐ、生まれ育った街を出て行くことになる。
ションベンを漏らしたあの家とも、
ゲイに売春されそうになった広告塔の街とも、
ハムスターを散歩させるキチガイなジジイ達が住む街とも、
コピー機もロクに扱えんババアどもが群がる街とも、
「漫画?ウチ、文字読むの嫌いだから読まへんの。」と即答するおばさんがいる街とも、
「あんた、そんな機械(iPhone)に月々数千円もはろてる(払っている)の?」と聴いてくる、京都の失礼なおばちゃんとも、
道を尋ねると「分からんならウチに着いてきい」と10分強もわざわざ案内してくれる天王寺の主婦とも、
コンビニのおでんごときに、「これ、あんま煮詰まってないな。やっぱいらんわ。」とグルメなお口をしたオッサンとも、別れることになる。

悲しいと言えば悲しいし、嬉しいと言えば嬉しい。
多分、次に行く街にも、こんなふうな救いようのない人達はいるだろう。

もしかすると、もっとキチガイな野郎たちがいるのかもしれない。
もしかすると、僕がいた街は特段、変な野郎どもが多かったのかもしれない。
まぁ、それはいささか感傷的な見方で、多分、どこの街に言ってもあんまり変わりはしないんだろう。

けどね。
やっぱりそれは別の人達であって、おんなじ人じゃない。
ハムスターを街にほっぽり出すじじいが他にいても、やっぱりあのじじいはあのじじいだけなんだ。そのじじいとは1回しか会ったこと無いけど、もう会うこともきっとないだろうけど、僕の中で、あのじじいはあのじじいだけだ。
上に出ている他の人たちももちろんそうだし、僕の友達に関してもそうだ。友達だけじゃなくても、会ったことある人たちもみんなそうだ。
名前もない人が世の中にはたくさんいるけれど、そいつらも全員そいつらだけだ。

どこの街に行ってもそういうことは忘れないでいたい。
時々、忘れるけど。

時々忘れるけど、綺麗事の様に聞こえるけど、綺麗事書いてるなって思うけど、この文章をなにかの機会に読み返した時に、そんな野郎たちのことを思い出したり出来るならいっかと思って書いた。