続・ニートポエム

初めてタイトルからブログ書いた。(続 と書いているのは、これの前にももう1つブログがあったからです。アップする場所を間違えて、このブログがアップされた瞬間、ダークホールに吸い込まれて行きました。無念。)

ニート(といいますか僕個人といいますか)が普段どんなことを考えているかということを少し書いておこうと思います。

まず、2週間に1回くらいは、「死にたいなー」と思います。
これは決して危険な話では無くて、「思うだけ」なのです。
僕の場合自殺することは、絶対と言い切ってしまいたいくらい無いと思います。
「生きてるだけで儲けもの」と思ってるぐらいですから。

けど、死にたいなーと思うのです。
これはアンビバレンツとかそういう話じゃなくて、生は死を内包しているものだと思うのです(少し話がでかくなってきすぎていますね)。
寺山修司か誰かも言っていたじゃないですか、「その人の死は、生を終えた時に、同時に終わりを迎える」(大意)みたいなことを。少し、話の規模が大きくなってくるんですが、あくまでそういうものだと思っていてください。決して負の感情だけでそう思うものでもないのです。
「死を見つめることは生に正面から向かっていくことだ」みたいなことも誰かが言っていたと思いますし。

という訳で死にたいと思うことはそこらへんの人よりはよく思うんじゃないかと思います。やっぱりニートって、他の人よりは生き甲斐も無いし、人から頼りにされるのってやっぱり大事だなとか痛感したりもします。あと、考える時間も膨大にあるし。


そして、僕の場合は母が一年前くらいに死にそうだったんですよね。
「もう長くは無いです。数ヶ月ですね。」と医者の口から出た時には、病院の一室で家族全員涙、鼻水まみれだったんですね。母は一切泣いていなかったけれど(母はいつだって強し!)。
もう、それで母の為にできることはなんだって地迷いながら考えて、綺麗な景色を見せるために謎に岡山まで原付ぶっ飛ばしてたくさん写真を取ったり、色々なプレゼントを送ったのですが、母はいつも笑顔でした。まるで、自分が死ぬことを知らないかのように。

まぁ、そんでから母は奇跡的に死なずにすんで、今も台湾の映画スターにワーキャー言ってる48歳のおば様なのですが、やはり身体はだいぶ弱っていて、日中は家で寝込んでいるのですね。そして、ほぼ毎日働いたりしているのですね。

そうするとですね、どこかから正当過ぎるヤジが飛んでくるわけです。
「やい!母がそんなふうなのに、お前はどうして貴様は家でゴロゴロしたり、ギターを弾いたり出来るんだ!」と。
もう、何も言えないです。仰せの通りでごございます。こればかりは。はい。

けれど、僕自身は、別にこういう生活をしていても罪悪感を感じたりするわけじゃないのですね(というのは少し嘘です。罪悪感を感じるときもあるにはあります)。
きっと、それは(どう聴いても言い訳に聞こえないでしょうけど)、いつかは真面目に働いたりすると思っているからです。
自分だって、こんな生活がずっと続くとは思いません。
僕はだらだらしているけれど、結構マジメなところもあり(自分で言うのもなんですが、ほんとです。ニートになってからも「多田さんが働かないなんてありえないと思いました。」という台詞を何回か聴きます。)僕や家族も経済的に恵まれているわけではないので、働かざるを得ない時期がやってくると思います。いまはそれをギリギリ許容できているレベルです。

それに、恥ずかしながらお金の使い方を未だに、僕はよくわかっていないのです。
お金は手段じゃなくて目的の為に使える道具だという認識くらいですが、僕にとっては、吉野家でお釣りが来るくらいの幸せが買えるのです。
ユニクロでお釣りが来るくらいの幸せが買えるのです。
むしろ、ポールスミスとかで服を買ってしまうと、かえって幸せが大きすぎて、幸せを実感できないと思うのですね。(決してポールスミスユーザーを馬鹿にしているのではないです)
例えば、ポールスミスを身に纏ってカレーを食べる機会があると、僕は洋服に汚れがつかないか気にしすぎて、カレーを楽しめないと思うのですね。
つまりは、僕はそういう人間なのですね。安上がりで済む人間です。彼女も(いたら)プレゼント選びに大喜びですし、親も助かります。

と話が脱線して来ました。全然ポエムじゃなくて、日記みたいなものになってきました。そして長い文章になってしまいました。
だからとりあえず、ニートの話はここまでにしておきます。
機会があれば、またニートについて少し書くと思います。

PS.「そうか、お前の言いたいことは分かった。だけど、将来どうすんだ!子どもとか、老後とかどうすんだ!」と道行く親切な人は、自分自身にも投げかけているように僕に訪ねて来るでしょう。だけど、僕にとってそんなことは、大げさに言ってしまうとどうでもいいのです。
「今が全て」みたいなそんな安っぽい嘘は口が裂けても言えませんが、僕にとっては将来を考え過ぎて、今をそのためだけに生きるのも、なんとも生きづらい人生だなと思ってしまうのです。

ちなみに、この生き方が正しいと思って生きているわけでもありません。
先日、上場企業に就職した友達が「金貰いながら、勉強できるなんて最高!」といっていましたが、ほんとにそう思います。
羨ましいと思います。

けど、僕は今の自分の生き方がそれと同じくらい楽しいと思ったりして生きているのです。
お金を基準にして生きるとそうは思えないだろうけど、「自分にとって、何が楽しいことなのか」を指標にして生きていると、こういう人生もなかなかに悪くないなと思うのです。


タイトル、
ニートの懺悔にしたほうが良かったかな。笑