マイブラと芸術の話

ちょっと興奮してる。
いや、ほんとはちょっとどころなんかじゃないくらい興奮してる。

何でそんな状態になっているのかっていうと、My Bloody Valentineのライブを観て来たからだ。

正直、めちゃくちゃ好きなバンドではないし、8000円もするチケット買って後悔してる気持ちも結構あるにはあった。
だけど、全部ぶっ飛んだ。

ただ、轟音だからとか、轟音だからだとか、シューゲイザー聴いてる俺オシャレ感ある自慢とか、そんなんじゃなくて、俺は多分、相当すんごいもんを見たと思ってる。
そりゃあ轟音出してて格好良かったし、「どうせ轟音って言ってもたかが知れてるだろ」って思ってた自分殴りたいぐらい、人生でであんな大きな音聴いたことないよって思った音を出してたよ。
(ちなみにライブ前に全員に耳栓が配られていた。着けなかったせいで軽く耳痛めた。)

だけど、具体的に何が良かったか。ってきかれても特に何もいえない。

「お前ちょっと爆音のせいで頭がおかしくなったんじゃないか。」と思うかもしれないんだけど、何も言えないのに、最高って言わしめることはめちゃくちゃ凄いことなんだと思う。

こういう体験は片手に収まらんくらいにしかしたことないけど、今はっきりと思い出せるのはROVOのライブ。
あれはバイト中で、ほとんどROVOについて知らなかったんだけど演奏が始まった瞬間におんなじ感覚が来た。
それは2011年に見た中でも多分一番良かったライブだったんだけど、それも具体的に何が良かったかっていうのがはっきりいえない。
確かに、ドラムのグルーブがえぐいとか、あそこのキメのピッタリ具合が半端ないとか、そういうのもきっちり覚えてたりはするんだけど、なんて言うかライブの記憶がほぼない。
「めちゃくちゃ良かった!オナニー1000回分の気持ちよさだわ!」
みたいなどうでもいいことだけは覚えてるんだけど、ほんとに記憶が抜けたみたいに感じる。「でも最高だったよなー。」みたいな感じ。マジ、自分の記憶力殺して再生したい。


「いや、これは自分だけなのか?自分の記憶力がゴミだからなのか?」と思ったりもするけれど、確かどこかのミュージシャンか画家も言ってた。これは俺の記憶力がゴミだから誰かは思い出せないけど。

そう、画家に関してもこんなことがあった。
オディロン・ルドンの作品展示を観に行った時だ。

この作品だ。
はっきり言って、このスクリーンを介して見る、この作品にはそこまでの魅力は感じない。けど、この作品を見た時にもそんなことを感じた。一緒に観に来ていた友達もそうだったらしい。(実際にこれは岐阜県美術館で見れるから、見れる人は見てほしい)
コレクション検索詳細 | 岐阜県美術館

まぁ、美術の話はあんまりわからないし、ちょっと長くなりそうだから詳しく書かない。


まぁ、それで僕が何が言いたかったかと言うと、
頭の中では論理的に何が凄いか説明できない。意味がわからないけれど、格好良く言うと第6感みたいなところが、ビンビンとセンサー鳴らすこの現象。これが芸術なんじゃないかと。

論理なんかで説明できない、現代の科学じゃ証明できない。ヒステリックといわれてしまうかもかもしれないけど、なぜだか感動してしまう。
時代の2000歩くらい先を行っているのか、もはや原始的すぎて理解できないのか。そんなことはわからない。

だけど、そんな作品を作り出す人を僕は心から尊敬の念を込めてアーティストと呼びたい。
芸術ってなんのことかよく分からないけれど、僕はその人達が創りだしたものを芸術って呼びたい。


マイブラがそんなもの見せて来やがったから、むしゃくしゃするよくわかんない気持ちをブログに書いてしまった。この野郎。

こんなに褒め叩いといて申し訳ない&マイブラファンはブチ切れるかもしれんけど、普段音楽を聞かない人がシューゲイザーの金字塔「Loveless」を聴いたら、30秒も持たずにギブアップすると思う。マジで。