パクリとオマージュ

人のアイデアを模倣する。
それは、パクリです。
だけどミュージシャン的に言わしてもらうとそれは、オマージュです。*1
そんな罪逃れみたいなことをぼくが好きなミュージシャンたちはよく口にしているような気がする。僕はそんなミュージシャンたちが好きだ。


昔、パクリが嫌いな時期があった。
でも、パクリっていうのはそんなに悪いもんでもないんじゃないかと最近、思うようになった。


パクリっていうのは、好きな人の歩き方を真似てしまうような、大人の階段を無理矢理登ろうとする行動と同じなのだと思う。
自然にそれを見ているから無意識のうちに自分の中に浸透してしまっている時もあるだろうけど。

それに、そのパクったアイデアを発展させていって新しいものに昇華することは、時代を繋げるという重要な役割を担っているのだろうなとも、漠然と思っている。
時代が過去から現在まで、繋がって存在しているなんてことは、想像力の乏しいぼくからすると、あまり想像のできないことだ。
でも、ミュージシャンたちはそれを自分の手にかけて、僕の乏しい想像力をどんどんふくらませてくれるような作品で、繋がりに気付かせてくれる。そんなものがパクリの本質なのではないかなと思う。音楽でもなんでも。

僕は好きなミュージシャンが聞いていた音楽を遡って聞くことが好きだ。
その昔の音楽家達のDNAが、好きなミュージシャンとおんなじだった時に、僕はなぜだか感動と、興奮を感じたりする。
彼らがいないと、僕が好きだったミュージシャン達は、生まれていなかっただろう。そんな風に、想像しかできなかった歴史に少し感謝したりする。

「パクリ」という文字を見るだけで悪意を感じてしまうような言葉になってしまったけど、本当はそこまで悪いと思われるものでもないのかなと思う。

*1:綿密にいうと、きちんとパクリやオマージュは区別されている。でも、そんなの作品だけ聞いているとわからない時だってたくさんある。僕からすると作品が良ければそれで良いかなと思う気持ちの方が強かったりもする。でも発案者に不利益を被らせるのはダメかな。みたいな曖昧なスタンスです。
パクリとは (パクリとは) [単語記事] - ニコニコ大百科