僕が考える「ロック」と「ジャンル」

これは「ロック」だ。とか、これは「ロック」じゃないとか、
ライブハウスや、雑誌の中、そしてweb上でも、そういう声が聞こえてきます。
ミュージシャンも終演後に熱く語っていたり、入場を待つファンの方からもそんな声が聞こえてきたりもする。

今日は僕の「ロック」論についてちょっと語りたい。尊敬するミュージシャンの一人、佐久間正英さんが音楽について語っていたので触発されて、30後半過ぎの売れていないバンドマンが若手のバンドに「ロックはなんたるか、そしてロックンロールはなんたるか」を延々と語るように、少し書いてみる。
まぁ、自分が考えていることはこういうことなんだと、耳を傾けてくれる人に話してみるという感じです。

楽家が音楽を諦める時http://www.masahidesakuma.net/


結論から言うと、
社会で見過ごされてきた「常識」に、疑問を持って戦う人
のことを、僕は「ロック」というのだろうと思う。少し抽象的かもしれないけれど。

別に音楽の種類がどうこうとか、そういうものではなくて、そういうアティチュード(姿勢)を持って歌を歌ったり、何か行動をしている人を指すと僕は考えている。

だから僕は音楽だけでなく、大学で学んでいる経営学に出てくる人、企業の社長たちの姿勢にも同じ姿勢を感じる瞬間が多くある。
彼らも社会について疑問を感じ、それを解決させるための武器として会社を立ち上げる。
ミュージシャンはそれを言葉、音に乗せて、人に伝える。

別にどっちでもいいじゃないかと思う。
手段が違うだけで、目的は同じ。
世の中を良くしてみたいという想いだったり、「ここがおかしいぞ」と思うところについて積極的に関わって解決しようとしてみたり、自分の格好良いところを見て欲しいという願望だったり、
なんにもできない自分がある物事についてなら戦えるという武器を取るだけであって、それがなんであったかって別にいいと思う。

僕は世の中の熱心な会社員も格好いいと思うし、燃えるミュージシャンも同じく格好いい。
格好悪いのは、どちらにしても、何もしていないのに不平不満を言う人であり、それは職種とは全く関係がない。


しまった、書きたかった最初のテーマと違う話になっていた。
音楽でよく語られる、「これはロックだ論、ロックじゃない論」について話を戻したい。
つまり、「この音楽はどういうジャンルなのという問いかけ」に対しての僕の考えだ。

ロックとかパンクとか、J-POPとか、
そういうジャンルっていうのは、別にチーム分けをしているわけじゃない。
お前はパンクじゃないとか、あいつらはロックじゃなくなったって言葉のどこにも意味なんてない。

そもそもジャンルなんてものは、CDショップに行った時に、メタリカモーニング娘。と森進一、MONGOL800、が同時に並んでたりしたら、かなりわかりにくい。更にモーツァルトまで絡んできたら、森進一の「おふくろさん」を買いにきた、大阪のおばちゃんがかなり困惑してMogwaiを買って帰る可能性もないとは言い切れない。それはそれで大阪のおばちゃんとマイブラについて語ったり、SONIC YOUTHについて語れるから胸熱かもしれない
だから「洋楽と邦楽を分別しよう。それで、ジャンルも分けたほうが見やすいよね。」という感じで、どんどん細分化された程度のものだと僕は思っている。


と、いってもやっぱり関わっている人からしたら、意味を結構考えたり放棄したりして長い付き合いを重ねていくものでもある。
そうして言葉にどんどん意味が生まれ、多様化していき、議論され、ある程度の大きな意味を持つようになる。
だけど、その人のやっている音楽、または行動自体がそういった意味を持つものであって、決して、言葉自体が意味を持つわけではない。
言葉自体、ほんとうはなくても問題ない。
これが一番伝えたかったこと。

だから、正直、ロックだ論、ロックじゃない論はそろそろ終焉に向かっていってほしいと思いながらも、「ロック」について語ってしまう僕なのでした。






こんな多彩な音楽が並ぶ棚も、それはそれで魅力的なのかもしれない。