だからデブは嫌いだ(ダイちゃんさんについて)

人が亡くなるのはいつも突然で、僕らはその事実に涙を流す。
そして、いつのまにやら死んでいった出来事すらも忘れて、またいつもの日常が戻ってくる。そして、また誰かが唐突に死ぬ。同じように涙を流す。
年を取ると、そのペースがだんだんと早くなってきて、いつかは自分が死ぬ。んだとぼくは思っている。


どれだけ大切な人を失っても、人間はいつかは忘れるように出来ている。
出来事の直後は、悲しみよこんにちはどころか、悲しみに埋もれて抜け出せないかと思うほど苦しかったりするという人もいるのに。
とっても都合がいい人間の能力なんだけど、そのことに対して時々悲しくなる。
忘れたくもない、悲しみみたいなものもあるんだからさ。

なんてことを言っても僕らの脳みそは少しずつ勝手に忘れてく。
自分の脳みそすら、記憶すら自分自身でコントロール出来ないってどうなってんだよ、って思ったりもする。
こればっかりは、ハードディスクでもCDでも記録できねえんだから、困るんだよ。って、なにくせえこと言ってんだ。
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大阪の知り合いが亡くなった。
ダイちゃんさんという名称で僕は呼んでいた。自分ではDai-changと名乗っていた。職業は音楽イベント構成作家で、一番大きいイベントは『見放題』と言う名前の毎年開催するフェス(サーキットライブではなくダイちゃんさんはフェスだと言う点を強調していた)だった。家業の印刷会社でも役員をやっていたらしくよく愚痴を言っていた。

ここではダイちゃんさんの経歴を語るつもりはない。
ダイちゃんさんとの別れとして、書き留めておきたいと思っていることを、単にキーボードを叩いていているだけだ。

ダイちゃんさんは悪口をよく言う人だった。政治にも、音楽にも、人にも。慣行や風習で残っている悪しき常識みたいなものにたいしては、特に厳しく言葉を吐き出していた気がする。
だけど、そこから出てくる言葉に聴き手(ぼく)は、嫌味を感じることはほとんどなかった。僕は、それが単にダイチャンさんの独特な声とゆっくりとした口調から調和されているものだと思っていたが、今思い直してみると少し違う気がする。

ダイちゃんさんは僕の悪口なんかに、軽く乗ってくることはほとんどなかった。むしろ、僕が発する悪口にたいしてはダイちゃんさんは冷静に、「それってこういうことじゃないかな」と物事の本質を平易な言葉に直してくれた。
ダイちゃんさんは悪口を言うにも律儀だった。その律儀さがダイちゃんさんの悪口さの嫌味を心地よく感じさせてくれる要因だったのではないかなと思う。
自分が書いているこの文章は、少し論理性に欠ける文章で読みにくいが、ダイちゃんさんのことを知っている人なら、論理の溝をたくさんのエピソードから埋めてなんとなく理解してもらえるのではないかと思う。



ダイちゃんさんは、僕らのバンドを気に入ってくれていたようで、色んなことを律儀に対応してくれた。
レーベルに入ることのメリット、デメリット、それを単純に並べてくれた上で、ダイちゃんさんなりの持論を展開してくれて、大いに影響を受けた。
僕らのライブにも本当によく来てくれて、自身のUSTREAM番組でも積極的に音源を流してくれたり、FM802にも無名の大学生バンドの音源が流れたのもダイちゃんさんのおかげだった。
僕は嬉しくて、京都でタクシーに乗りながらradikoのスクショを撮ったりした。
そして、見放題にも呼んでくれた。そして、あろうことかその年のコンピレーションアルバム、ここにある音楽3に僕らの曲を収録し、それも一曲目に選んでくれた。僕はダイちゃんさんに、自分たちの音楽を認めてもらえたと思って、本当に嬉しかった。


それから、僕はダイちゃんさんとよくご飯を食べに行った。
助手席でダイちゃんさんの汗臭い匂いを嗅ぎながら、どこで飯を食べるかなんて相談する時間は今でも思い出す。ミナミのネオン街を少しだけ身近な街に感じさせてくれたのもダイちゃんさんだった。


ダイちゃんさんは、ここ4年程度アイドルにバンドそっちのけ(といっても過言ではないくらい)で熱中していた。
しかし、その邂逅の瞬間というのは実は僕がやっていたバンドを名古屋遠征に連れて行ってくれた瞬間なのではないかなと僕は密かに思っている。

ダイちゃんさんと、僕はAKBが気になっている。そしてそれは、アイドルというシステム的にではなくて、どちらかというと音楽的に気になっているという話を以前からよくしていた。

すると、名古屋遠征の際に、サポートメンバーとして参加してくれていたBrian the Sunのはるきが、AKB48神曲たちというアルバムを流してくれたのだった。
そこで僕たちは『Baby! Baby! Baby! Baby!』という曲を聴いた。
ダイちゃんさんはSMAPを感じさせるポップさと、メロディの裏になっているカウンターメロディー、展開も単調な展開ながらも、要所要所にセンスを感じられることを純粋に褒めていた。
その瞬間に、僕達がアイドルソングではなくて、アイドルに嵌って行くことは、あらかじめ決まっていたのではないかと思う。
アイドルイベントにも何度か一緒に行ったなぁ。

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ダイちゃんさんは常に新しいモノを探していた。常に飢えていたと言ってもいいのではないかと思う。
常に音楽業界に新しい波を作ろうとしていたと思う。
その姿勢はダイちゃんさんの好きなオルタナティブという言葉そのものだったと思う。僕はその姿勢が大好きで、その悪口をいつも聴いていたかった。
僕もパンクではなく、常にオルタナティブでありたいと思う姿勢は、ダイちゃんさんから受け継いだものなのではないかなと思う。


ダイちゃんさん、お元気で。



PS.これから先の、アイドル自慢エピソードは、いったい誰に話せばいいんですかねえ...