旅にでること、街にでること

ぼくは、今年の4月にはじめて、東北に行ってきた。
人生で初めてのボランティア活動をした。
そして、その体験は言葉にできるものではなかった。

終わったあとの情熱は、僕が、音楽を初めた時と同じくらい。
わかりやすくいうと、沸点36度の状態だ(わかりにくいか)。
生き方も少しだけど、変わった。
継続して、今もボランティアを続けている。けれど、やめたこともたくさんある。


もし、あの時にボランティアに行っていなかったらぼくはどうなっていたんだろう。
それは、分からない。けれど、それはそれで良い人生をきっと送っていただろうなと思っている。

けれど、いまの感覚で、もう一度、あの時が来るとすれば、迷わず行くと思う。
尊敬する、アーティストと会える機会と被ってたから迷ってた自分を、超大手の会社の面接が、同じ日に被ってくることを知っていたら申し込みを入れなかったかもしれない自分を、無理にでも説得して連れて行く。


参加するための理由はたくさん考えた。
ありきたりな理由から、自分にしかわからない理由も、たくさん考えた。
だけど、東北の旅の途中で、この曲を聞いた時に、本当の理由というのはなんとなく分かった。
そして、いまでもなんとなく理解できていない感覚も、両方ある。

少し、心象的に書きすぎたかもしれない。だけど、一番伝えたいことが1つだけあるので、それを最後に。これは、被災地についてのことだけではないが、自分が最近、「情報」について、よく考えていること。


現場に行かなくても、本で情報を知ることができる。webで、新聞で、情報が知れるから、行く必要がないかもしれないって思うかもしれない。だけども、実際にその場所に行くっていうのは、いっさいフィルターにかかっていない自然な状態を目の当たりにすることになる。

それはつまり、自分というフィルターだけを通して入ってくる情報。
それは自分だけの宝物になるんじゃないかな。
そして、その情報が宝物になるだけではなくて、
その情報自体が、「君が何を大切にしているか」を理解させてくれる、「きっかけ」になるんじゃないかな。

是非、震える足で、一歩進んで欲しい。
ぼくは、ペーターさん達の言葉がなければ踏み出していなかった。

クリエイティブの可能性