ハイロウズを聴きながら

11月2日、大阪でのサポート演奏を終えて弾丸で東京に帰る。
先月出会ったばかりの人達と短いながらも共同生活を送るということは、後になって考えてみるとそこでようやく、少し奇妙な行為だなと実感したりする。




深夜の高速道路というのは、あれやこれやと思惑を巡らせることにこれほど最適な場所はないのではないだろうかと感じさせられる場所だったりする。
僕らを違う世界に連れて行かないための等間隔の電球だったり、コンクリートの繋ぎ目のほんの小さな段差が生む時々の「ゆれ」だったり、親が不幸な目にあったのか、野茂英雄のストレート並の早さで去っていく車の姿だったり、が僕らの煩悩を少しずつ浮き出させてくれる。

そして、なんだかそういうもの達が集合して高速道路はやっと、高速道路としての姿をそこに表したりしているような気がするんです。
高速道路単体だと未完成な状態というか、なんというか。



身分証としてでしかここ数年間機能していない運転免許証が今回も本来の機能を使うこと無く、東京に辿り着いてしまうわけなのですが、少なくとも僕は僕としての責任を果たそうと、長時間助手席に乗って起きていたわけです*1
眠らないために、ガムを噛んだり、思考を巡らせたり(これは時々眠りに導かれることもあるけれど)、運転席に座る人と会話をしたり。

僕は、移動そのものが目的と目的の間に存在する、単なる摩擦時間だとは思えない瞬間があって(摩擦時間だと思っている時間も多分にあるわけですが)。その瞬間というのは、今までは地図の中での虚像でしかなかったものたちが、自分の中で実像になる瞬間みたいなものを感じられたりする時です。実益こそないものの、これらの瞬間が自分には、とても意味のある行為に思えています*2

東京に帰るまでに、知り合ったばかりの人達と言葉を投げかけたり、心地の良い無言のやりとりだったり、「何かを話さなければ」という無言の重みだったりを勝手に感じたりもしながら、機材を載せた車は東京を目指して帰っていった。


高速道路で聴くヒロトの声は、僕の為だけに歌ってくれてたと思ってしまうくらい感動的だった。

*1:花泥棒・稲本さん、MUGWUMPS・KOZOさん、JUNK FOOD PANIC・ケンタさん、運転ありがとうございました。

*2:「こういう街があって、そこに生活する人達がいる姿」を知るというのは、「海外に行って知見を広げる」ということと同等の価値があるのではないかと僕は思っていたり。