僕らはオジサンになっていく

二十五歳。
それなりに生きてきたと言える年齢になったと思う。
まだまだ若いと言ってくれる人もいるだろう。
だけど十五歳の頃の自分を思い返してみると、年上に対する年齢の区別なんてせいぜい三つくらいしかなかった。
「おにいさん」「オジサン」「じじい(死にかけ)」
である。

あくまで自分の中の感覚ではあるが分布図としてはこんな感じだ。

おにいさん・・・二十歳〜三十五歳
オジサン・・・三十二歳〜六十歳
じじい・・・六十歳以降

重複している部分があるのはある程度個体差があるからだと思っていただきたい(例えば、温水洋一だと二五歳くらいで既にオジサンに属したであろう)。

こんな感じで二十四歳と二十六歳の違いなんて全く分からなかった。
しかし今では、二十五歳という当事者年齢であるから、おにいさんの中でも多少の誤差はあるがある程度細分化して見分けることが出来る。

まぁ、そんなことは書いておいてなんだがどうでもいい。
私がいいたいのは肉体的に年を取るというのは、産毛だったふとももの毛がみるみると剛毛になっていく悲しさであったり、耳クソの量が「ボーナスステージかよ」って思えるくらいにとれたりする虚しさと真摯に向き合わなければいけないことらしい。
これは、中高生に就活の厳しさとかと同時に教えてあげるべき知識ではないかなと思ったんだけど、俺が中学生の頃にこんなことを聞いても二十五歳の頃には間違いなく忘れてるだろうなと思う。


結局、何がいいたいかわからないけれど、暫くの間は毎日日記を書いていくことに決めました。

インド旅行退屈日記

38日間インドへ行った。
どうしてインドなのか?
ただ、単純に(航空券、物価共に)安く、そして友人が良い場所だと言っていた。もうひとつ理由を挙げるならば、尊敬している人が働いている場所がインドだった。

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もう一度、出国日の3月10日に戻ることが出来るならば、僕はインドに飛び立つという選択肢を選ばないだろう。それだけははっきり言える。
人生の中で初めて嫌いな国が出来たという経験。それがインド。

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「海外旅行は自分探しだ。」という風潮が古くからあって、そこに重ねて現在では「海外に自分を探しに行くなんてバカげている。自分は此処にいる」という風潮の方がより強くなっていると感じている。
僕自信も自分は常に此処にいると思うし、自分なんて探さなくても、個性がないと思っていても、「我」みたいなものはわりと自然に出ているものなのではないか思う。
だけど、海外に行くことは、自分探しにかなり有効な手法なのではないかなと思う。

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「カルチャーショック。いったい、なんて軽々しい響き!」と僕は思うけれども、海外に行くと、カルチャーショックはそこらじゅうに石みたいに、コロコロと転がっている。拾う必要もないくらいに、歩いているだけで躓くほどある。
それでも長く滞在していると時々拾いたくなったり、反対によけようとして変に躓いたりすることがある、時々、踏み潰したりもする。
夜中、軋む心配性もない硬すぎるベッドの上で、そんな石のことを考えたりする。そして、大体は結論に辿り着くこともなく、眠りにつく。

朝になると、そんなことを忘れて、また新しい場所に旅立って行く。
そんな連続の呼称が旅というみたいだ。それらは全部解決することもなく、頭のどこか片隅に残したり、道端に少し落としたりして、旅は終わる。
そして、そういうものを持って自分の国に帰ってくると、何気ない日常に違和感を感じたりする。違和感というほど大層なものではないけれど、「ここにもそれなりに石落ちてるじゃん。」となったり、そういやあの服着てなかったな。なんて、些細なことを思い出せたりする。
僕はいつも、遠い場所に行く度に些細なことを思い出す。

しかしそれは閃きという様な感覚、もっと強く言うならばパラダイムシフトというようなものでは全然なくて、本当に小さい気付きみたいなもの。鈍く重いものを少しずつ身に付けるような感覚。
人間は、そういう単体で取り出してみるとあまり美しくないもの達を、その人なりの感覚(それは無自覚的なものが圧倒的に多い)で積み重ねて出来ていくのではないかなと僕は思う。

ブログではインドでのエピソードや、なんやらを書こうと思ったが面倒くさいのでやめた。少しくらいは書こうと思うけれど。少し長かった為、あまり上手にまとめることができなかったと言った方が正しいかもしれない。
僕の友達は直接きいてください。友達じゃなくても別にいいけど。

インドで、良かった思い出。
・ラダックのトゥルトゥクという辺境の村で見た月。
・マトという村で見た無数の星。宇宙に行きたいなと、月並に思った。
・人生初ヒッチハイク
・インド人の為の旅行ツアーに一緒に参加して(外人は私一人だった)、子どもたちと親密になれたこと。
・尊敬している方が運営しているレストランに行けたこと。
・食べたことのない食べ物をたくさん食べられたこと。
・ホームステイ

PS.少し抽象的な話をしすぎた。
ホームステイの話だけ、少し書こうと思う。

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ラダックという高度3000m〜5000mの地域の村々を旅行者気分で訪ねていた。
そして、マトという特に観光するものもない小さな村に訪れた。
僕はその日、ヒッチハイクで村々を転々としていたのでマトという村に着いたのは既に日が沈みだそうとしていた頃だった。
宿がないという情報は知っていたし、その村からバスが出るのは朝だけだというのも知っていたので、僕はモナストリー(修道院)に泊めさせてもらおうと思っていた。
そして、村人に訪ねてみたところ「あんた、オンナでしょ」「オンナはダメよ、あんたが良かったら私の家に泊まっていきなさい!」と言いながら、勝手に家へのガイドをしてくれた。
僕は修道院に泊まったことが無かったので興味はそれなりにあったのだが、本当のホームステイができるのも貴重だなと思いながらその人についていった。「僕は男ですよ。それでもいいですか。」なんて言いながら。その人はちょっとでも滑ると死ぬ山道(というか崖道)を下り始めた。高所恐怖症で何度か気絶しそうになりながら、僕はなんとか必死についていった。

その村人は50歳くらいの女の人は英語があまり上手ではなくて基本的に「you are 〜〜」という喋り出しだった。
家に着くまでは「私の家は貧乏なの。」「家は小さいわ」などと謙遜していたと思われたが、実際家に着いてみると、確かに貧しいんだろうなとは感じられる家だった。
あまり建物自体が大きくはなく、トイレも外にあるインド式ボットン便所、水道も通っていなかった。
家族構成は夫と、中学生の娘。他に二人いるが大きくなって外に働きに行っているとのことだった。
あと、おばあちゃんと住んでいたとの事だったが3ヶ月前に亡くなったそうだった。

娘さんはとても綺麗な顔立ちをして、笑い方も素直に笑うんじゃなく、中学生特有のどこか恥ずかしみを含んだ笑い方をしていて、それがとても可愛かった。
そして、お母さんいわく、娘さんは不良だそうで、あまり良い子ではないと言っていた。
確かに、死んだおばあちゃんの写真を見せてくれた後に娘さんは、そこらへんに落ちているパンくずをささっと死んだおばあちゃんの写真に(ふざけてではなくて自然に)のせたりしていて、僕はその親子間のギャップに結構笑わされる瞬間があった。

そして、夜になって家族が揃うと晩御飯を作ってくれた。それは日本でいううどん、現地で言うトゥクパというものだったのだが、これがすこぶる不味かった。どれくらいまずかったかというと、こんな料理を作る奴は殺さねばならぬと使命感を真剣に感じるくらいにはまずかった。
だけど、家族はそれをうまいともまずいとも言わずに、平然と食べていて、僕はおいしいですと言いながら食べた。おかわりは絶対にするつもりはなかったけれど、ラダックでその行為は不可能だと知っていた(ラダックの人達はインド人とは思えないほどに親切)。だからなんとか2杯で食い止めるつもりで、その企みはなんとか成功した。
しかし、朝目覚めてダイニングに行った時にそのトゥクパを皆がもう一度食べているのを見た時は、ワンピースでいう、51巻くらいのルフィの絶望の気持ちわかった気になった。

朝、娘は学校に行き父もいつの間にか消えていて、お母さんと一緒にバス停に向かった。
バス停に向かう際に僕は、謝礼としてお金を渡そうとしたけれどお母さんは要らないと言って、受け取ってくれなかった。そのかわり、また来てね。次は彼女とあなたのお母さんときて、あなたが言ううどんというものを作ってね。と言ってくれた。
そして、僕は多分ここに来ることはないよと思いながら、きちんと頷いた。


そんな話。

インド読書記録

僕の初めての海外旅行。それがインドだった。
そして、僕は行ってみて初めて気づいた。





「海外旅行、全然楽しめへん気質やん。自分......」


という訳で、ホテルで本を読む時間がたくさんありました。
旅行先で食べたご飯はいつでも想い出せるほどに特別な思い出となるように、読書でもその効果はあったりするように思います。まぁ、家の中で読んでも(つまりはどこで読んでも)強烈な効用があったりするから僕は読書をするのが好きなんだけども。

持っていった本は下記の5冊

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)/ドストエフスキー
罪と罰〈下〉 (新潮文庫)/ドストエフスキー
ポケットに名言を/寺山修司
風の歌を聴け (講談社文庫)/村上春樹
論理哲学論考 (岩波文庫)/ウィトゲンシュタイン

絞りに絞って上記のリストになった。ギリギリに絞って落ちたのは、井伏鱒二全詩集や、カート・ヴォネガット等。だけど、どう考えても足りないだろうなと思って、追加で英単語集のDUO 3.0を持っていった。

飛行機で読書熱が上がって到着を待たずにして本を2冊読み終えた時は「マジかよ..」となったけれども、結果的に寺山修司村上春樹は6回程度ずつ、読み直した。

けれども、もっと本が欲しいなと思った所iPhonekindleのアプリが入っていたので、そこに入ってる本を読んだ。途中で色々読みたい本も出てきて、wifi環境があるところで数冊購入した。以下読んだ本。


マーケットの魔術師 − 米トップトレーダーが語る成功の秘訣/ジャック・D・シュワッガー
藪の中/芥川龍之介
富獄百景/芥川龍之介
夢十夜/夏目漱石
私の個人主義/夏目漱石
審判/カフカフランツ
風の又三郎/宮沢賢治
セロ弾きのゴーシュ/宮沢賢治

夏目漱石については、書きたいエピソードがいくつかあるのですが、またいつか書きます。

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PS.音楽は主に日本人の作品を意識して聴いてました。
最近、スタン・ゲッツの美しい音楽に魅了されていたのですが、イヤホンでジャズを聴くのが自分は無理でした。

そして、帰国してからKindle Paperwhite Wi-Fiを購入しました。かなり気に入っています。

3月雑記

3月1日
アメリカンスナイパー』観ようとしたら満席だったので、『幕が上がる』を観て来た。
色んなこと思い出させてくれる良い映画だったと思う。

思い出したのは、高校のクラブでバンドを始めた頃のこと。
友達たちが休憩時間と銘打って、ご飯を最寄りのコンビニに買いに行く最中も、自分は楽器を大きい音で鳴らせるのが嬉しくてコンビニ行ったことなんてなかったなぁ、とか。そんな些細だけど大切なこと。

映画の中で女の子たちがひたむきに行動しているのを見て、胸が熱くなったりして。

自分としては毎日、新たな知見や経験を、ささやかながらに積み重ねてはいて、大きなエポックはないかもしれないけど、退屈だけはしていないと、胸を小さく張れる程度の生活を送っている(自分は退屈を感じたならば、生活様式を変えるべきタイミングだと思っている。仕事を変える、辞める、始めるだとか、旅行へ行ってみるとか、恋人を作ってみるとか)
決して、今の生活は間違ってはいないんだけど、「もっとなんかあるんじゃないか」と思わせられるような萌芽が生まれたような映画だったかもしれない。

といっても個人的には「最高!」とまで言える映画ではなかったので、他人に勧めることをするほどの映画ではないとも思っている。あくまで自分個人としては楽しめましたという感じ。けれど、終わり方があまり好きではなかったかな。


夜には昔、自分が以前所属していたバンドの演奏を見た。
良いか悪いかどうかは、自分にはわからない。

夜中にそのバンドドラマーの米谷君が泊まりに来る。音楽のこと、バンドのこと、ドラムのことを色々と話した。服をあげた、タバコをあげた、飯を作った。駅まで送ってさよならと言った。


3月2日
来週からインドに行くことになった。正直、インドという国に特別興味が有るわけではないけれど、旅券や物価も安いし、自発的に海外に行ったことも無かったし、自由な時間があるので丁度いいかなと。
そして、友人からインドの映画を観させてもらったり、話を教えてもらったり、図書館で資料を集めて眺めたりして、ようやく行く気も伴ってきた。
38日程度の期間ですがもし飽きたら、近隣諸国も視野に入れていますが、どうなることかはまだまだ分かりません。

インドから帰ってくるとポールの来日公演へ行く予定です。そちらもチケットを取得しているので楽しみです。
そこから帰ってくると、次は母を海外旅行に連れて行く予定です。母は泣いて喜んでいました。

ばあちゃんと、ばあちゃんと、じいちゃんには生きている間にはどこにも連れて行けなかったから、母くらいは。

そこらで自分のお金使い切ってしまうかもしれないので、もしかすると働くかもしれません。
働く気がわかなければ働きません。僕はわりとそういうところは、僕が思う世間の感覚よりはルーズのようです。

映画メモ 2014下半期-2015

小西康陽さんが自身の見た映画をまとめていらしたので、「自分も。」と思い、まとめてみました。
仕事を辞める数ヶ月前の7月以前も30本程度は見た筈だが、メモをせず曖昧だったため省いた。

http://blog.honeyee.com/ykonishi/archives/2015/02/07/post-21.html


まとめてみて思ったことは、仕事を辞めたわりにはあまり観ていないなと思ったことくらいですね。8月半ばから9月半まではシンガポールに行っていたので、あまり観れていない。10月は仕事辞めてドタバタしてました。12月は1日3本観る日々が続いたが2本が丁度いいかなと感じた。
3月は個人旅行で海外に行く予定なのであまり観れないかも。


8月 
ブルース・ブラザーズ
アナと雪の女王
★★フルメタルジャケット
ミンボーの女
★ゲーム
ユージュアル・サスペクツ
カジュアリティーズ
みなさん、さようなら
WOOD JOB! @SINGAPORE AIRLINE

9月
グランド・ブダペスト・ホテル @SINGAPORE AIRLINE
ゴジラ  @SINGAPORE AIRLINE

10月
★★マイノリティリポート (2)*1
ブルージャスミン @早稲田松竹
映画と恋とウディ・アレン @早稲田松竹

11月
新・猿の惑星
猿の惑星・征服
最後の猿の惑星
素晴らしき哉、人生!
戦場のメリークリスマス
フィールド・オブ・ドリームス
死霊のはらわた
市民ケーン
シンドラーのリスト
★シャイニング
横道世之介
マルタイの女
たまたま
あげまん
遊星からの物体X
ボーン・アルティメイタム
イージー・ライダー
ハチミツとクローバー

12月
インターステラー @新宿ピカデリー
12人の優しい日本人
母なる証明
スーパーの女 (2)
シークレット・サンシャイン
川の底からこんにちは(2)
塔の上のラプンツェル
マルサの女
ファーゴ
パルプフィクション
バットマン・ビギンズ
幸福の黄色いハンカチ
昭和任侠伝
マルサの女
E.T  @新宿ミラノ
戦場のメリークリスマス(2) @新宿ミラノ
荒野の七人 @新宿ミラノ
マトリックス (2) @新宿ミラノ
新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/ まごころを、君に @新宿ミラノ
エグゼクティブ・デシジョン @新宿ミラノ
銀河鉄道999 @新宿ミラノ
さよなら銀河鉄道999〜アンドロメダ終着駅〜 @新宿ミラノ
セーラ服と機関銃 @新宿ミラノ
時をかける少女 @新宿ミラノ
BUMP OF CHICKEN "WILLPOLIS 2014" 劇場版 @渋谷TOHOシネマ
探偵物語 @新宿ミラノ
男たちの挽歌 @新宿ミラノ
エクソシスト @新宿ミラノ
タワーリング・インフェルノ @新宿ミラノ

1月
ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還
時をかける少女 (2)
ショーシャンクの空に (2)
白夜行
ノーカントリー
未来世紀ブラジル
ダークナイト
ダークナイトライジン
華麗なるギャツビーロバート・レッドフォードの方)
ディパーテッド
ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
たんぽぽ
ターミネーター4


2月
★3Idiots(きっとうまくいく)
大病人
メメント
死ぬまでにしたい10のこと
シャッター・アイランド
崖の上のポニョ
風立ちぬ
ボルト
ブラジルから来た少年
★★インセプション (2)
★告白

計94本

インセプションは、自分の人生で1番好きな映画かもしれません。
今年は200本くらい観たいですね。

*1:(2)の表記は二度以上観たことがある映画。

2014年 買ってよかったもの

2014年はお金を消費したと思う。モノにも経験にも。
仕事を辞めてからは映画を一日三本見ることを続けたりして、オススメ映画なんかも備忘録ついでに書いておきたいんだけど、今回は簡潔に書いていこうと思う。

自転車

東京は歩いてみると分かるんだけど案外大きい。面積的には小さいんだけど、道が入り組んでいて、東京の街を知ろうとすると日が暮れるのは案外に早い。
自転車を手に入れてからというもの、東京という街を結構好きになってきた気がする。たまに埼玉に行ったり、神奈川にも行った。

サブディスプレイ&HDMIケーブル

サブディスプレイは、あったらこんな便利なのかよ!ってなった。PC作業(という建前のネットサーフィン)中にYOUTUBEで動画も快適に見れるし、HDMLケーブル繋いで大画面にして映画見たりをした。案外安くて、個人的にはもうひとつ欲しいけど我慢してる。


スピーカー

きちんとしたスピーカーを持っておくと、幸福度が間違いなく上がると思う。
logicoolのスピーカーはきちんとしたスピーカーとは言えないけど、興味本位で買ってみたところ(なんといっても安かった)、そこまで悪くなかったのでテレビに繋いで使ってる。個人的には音楽のリスニングにはあまり使わない。サウンドシステム(というほど大層なモノでもないが)立ち上げるのがめんどくさい時にたまに使ってる程度。

二口コンロ

住んでいる家に二口コンロがおけるなら、買ったほうがいいかなと思う。料理が楽しくなって、上手くなった気がする。値段も案外一口コンロと変わらない。

排水管洗浄剤(ピーピースルー)

引っ越した家の排水管が異様に臭かったのだけど、これを使ったら匂いがほとんど気にならなくなった。そこら辺ので効かない場合はオススメです。けど、完璧に消えるわけじゃないから、我が家では半年に一本のペースで使ってます。コスパ的には悪くない感じ。



変な並びだけど、長くなるのもあれなのでこれくらいで。
東京に来てからきちんとした服(dries van notenとか)買ったりもしてみたんだけど、結局自分にしっくり来る安物の古着ばっかり着ている気がします。コムデギャルソンオムプリュスのバックは中古で買ったんだけどそれなりに気に入っている。あ、カシミヤ入りのセーターはマジでおすすめ。ほんとに暖かいから寒い日はこれしか着ない。上記のリンク付きのより断然おすすめ度高いんだけど書きなおすのも面倒くさいので。古着屋さんでカシミヤ入りのあったら買ってみるといいです。ユニクロのも十分暖かい。価格分の価値はあると思います。今じゃマフラーもカシミヤ100%になってしまいました。


生活面では散歩とメモ帳を持ち歩くことが最近の主流になりました。無印のやつ。ポケットに入るからいい。今までは携帯でメモしてたりしてたんだけど、見返すことがほとんどなくて、方針をちょっと変えてみました。
今度は気が向いたら映画のことでも書こうかなと思ってます。


PS.去年読んだ小説で印象深かったのは、堀江敏幸河岸忘日抄と、井伏鱒二全集です。
河岸忘日抄に関しては今年に入ってからも再読するほど好きな本になってしまいました。図書館にあると思うので読んでみてください。関係無いですが、僕は図書館に行く時に岩波文庫の本を一冊は必ず借りるのが習慣になりました。

ハイロウズを聴きながら

11月2日、大阪でのサポート演奏を終えて弾丸で東京に帰る。
先月出会ったばかりの人達と短いながらも共同生活を送るということは、後になって考えてみるとそこでようやく、少し奇妙な行為だなと実感したりする。




深夜の高速道路というのは、あれやこれやと思惑を巡らせることにこれほど最適な場所はないのではないだろうかと感じさせられる場所だったりする。
僕らを違う世界に連れて行かないための等間隔の電球だったり、コンクリートの繋ぎ目のほんの小さな段差が生む時々の「ゆれ」だったり、親が不幸な目にあったのか、野茂英雄のストレート並の早さで去っていく車の姿だったり、が僕らの煩悩を少しずつ浮き出させてくれる。

そして、なんだかそういうもの達が集合して高速道路はやっと、高速道路としての姿をそこに表したりしているような気がするんです。
高速道路単体だと未完成な状態というか、なんというか。



身分証としてでしかここ数年間機能していない運転免許証が今回も本来の機能を使うこと無く、東京に辿り着いてしまうわけなのですが、少なくとも僕は僕としての責任を果たそうと、長時間助手席に乗って起きていたわけです*1
眠らないために、ガムを噛んだり、思考を巡らせたり(これは時々眠りに導かれることもあるけれど)、運転席に座る人と会話をしたり。

僕は、移動そのものが目的と目的の間に存在する、単なる摩擦時間だとは思えない瞬間があって(摩擦時間だと思っている時間も多分にあるわけですが)。その瞬間というのは、今までは地図の中での虚像でしかなかったものたちが、自分の中で実像になる瞬間みたいなものを感じられたりする時です。実益こそないものの、これらの瞬間が自分には、とても意味のある行為に思えています*2

東京に帰るまでに、知り合ったばかりの人達と言葉を投げかけたり、心地の良い無言のやりとりだったり、「何かを話さなければ」という無言の重みだったりを勝手に感じたりもしながら、機材を載せた車は東京を目指して帰っていった。


高速道路で聴くヒロトの声は、僕の為だけに歌ってくれてたと思ってしまうくらい感動的だった。

*1:花泥棒・稲本さん、MUGWUMPS・KOZOさん、JUNK FOOD PANIC・ケンタさん、運転ありがとうございました。

*2:「こういう街があって、そこに生活する人達がいる姿」を知るというのは、「海外に行って知見を広げる」ということと同等の価値があるのではないかと僕は思っていたり。